ハリーがフレッドを連れて談話室を出て行った。二人が去った後も商品の紹介を続ける気にはなれず、さっさと片付けて皆を解散させてしまった。
部屋にも戻りたくない。
ソファに座り、ぼんやりと暖炉の火を眺めるなどという、己のことながら、らしくないことをしていたら「ジョージが! ぼーっとしてる! 一人で! 明日、蜘蛛が降ってきたらどうしよう」などと、末弟が非常に失礼な台詞を吐きながら去って行った。
明日の朝一の仕事は、あいつのベッドに蜘蛛(の模型)を忍ばせることに決定した。
弟に言われるまでもなく、自分がおかしいことは重々承知している。
ハリーのことを目で追うようになってから、ずっとおかしい。いや、それよりも前からおかしかったのかもしれない。
自分の胸の内に燻っているものの正体には、もう何年も前から知っていた。
隣にいたフレッドの目に似たものを感じ取ってからはずっと、気づかなかったふりをした。
あくまで、ふり、だけだった。
そいつが胸の内から消えることはなかった。
むしろ、日に日に大きくなっていった。
フレッドが、フレッド自身の中に眠っていたものに気付いてからは、更に悪化したように思える。
フレッドが気づいたのは、つい最近のことだ。
それからの行動は早かった。そしてわざわざジョージ断りを入れた上で、その足でハリーに好意を告げに行った。
止めはしなかった。止める権利などない。
いつかこの日がくるだろうことは想像していた。来るべき日が来ただけだ。
現在、ハリーは返事を保留にしているらしい。しかし、フレッドのことを聞きつけた者達がこぞって告白しに行っているらしいから、フレッドもうかうかはしていられない。それを知っているせいか、フレッドは以前にも増して、ハリーに話しかけに行くようになった。
フレッド以外の人間は追い払う。だが、フレッドのことは止めない。
前は二人で一緒にハリーのところへ行っていたが、フレッドに宣戦布告という名の牽制をされてしまった手前、今はフレッドについて行くことはできなかった。
そうでなくとも、ハリーとフレッドの二人を近くで見るは耐えられない。それでも、全く見ないなんてこともできずに、今日のように視界の端で二人を捉えるような姑息な真似を繰り返していた。
はっきり見ていたわけではないが、ハリーがフレッドの身体をソファへ引き込んでいた。二人の顔の距離はとても近く、まるで――いや、その確証はない。
ジョージはかぶりを振って、ソファの脇に置かれていた日刊予言者新聞を広げた。暖炉の前でハリーが見ていたのはこれのようだ。ハリーの顔が一面に掲載されている。
悪しざまに書かれた内容は元より、写真も酷いものだ。世の中の全てを恨むような目でこちらを見ている。
だが、今のジョージには、こんな写真のハリーに近づくことしかできなかった。
憎しみを込めた目でこちらを睨むハリーの顔に手を触れる――が、
「ジョージ?」
唐突にかけられた声に、手を引っ込めた。振り返ると、フレッドと共に何処かへ行ったはずのハリーがいた。
「こんなところで何してるの?」
「いや、ちょっと考えごとをしていただけだよ」
応えながらハリーの後ろへ視線をやる。談話室にいるのはジョージとハリーの二人だけで、他には誰もいない。あるべき人物の姿すらなかった。
「フレッドはどうしたんだ? さっきまで一緒にいたよな」
「あぁ、フレッド、ね」
ジョージの質問に、ハリーは目を細めて口の端を吊り上げた。笑みと呼ぶにはあまりにほの暗い表情だ。
まさか、フレッドがハリーに何かしたのか。
ジョージの脳裏に過ぎるよからぬ想像を知ってか知らずか、ハリーは腹立たしげに口を開いた。
「フレッドは、たった今、医務室に押し込んできたところだよ」
「医務し――、え?」
ハリーの返答は、予想とは全く異なっていた。
目を見開いて固まるジョージに、今度は呆れたような表情を浮かべてハリーが嘆息した。
「その様子だと、やっぱり気づいてなかったんだね。おかしいと思ったよ。普段なら、フレッドがあんなに悪化させられるはずがないんだ。フレッドにはジョージがいるんだから」
「悪化って、そんなに悪いのか」
ソファから立ち上がり、談話室の出入り口に足を向ける。足を進めることができなかった。左腕を掴まれた。
「待って、フレッドなら大丈夫だよ」
焦燥するこちらを落ち着けるかのように、とてもゆっくりとハリーは話した。
「呪文の練習で変なところに打ったせいで酷い痣になってるだけだから。さっき僕が思いっ切り押してやったからちょっと、まぁ、だいぶ悪くなったけど、マダム・ポンフリーが診てくれたからもう大丈夫。内臓を損傷したわけじゃないから、すぐに治せるってさ」
「そう、か」
力が抜けた。
再びソファへと腰を沈めてしまう。
思い返せば、先日の訓練のとき、ジニーの呪文を受けたフレッドはクッションとは違うところに身体を打っていた。すぐに立ち上がって笑っていたため、今まで気がつかなかった。
いや、今までフレッドのことを見ていなかったせいだ。だから気付けなかった。
だが、ハリーは気付いた。フレッドのことを見ていたから。
よく見ていなければ、気付けない。
その事実に、奥歯を噛み締めた。
「フレッドはもう大丈夫だから、今度はジョージの番」
顔を上げる。柔らかな光を放つ、緑の瞳がジョージを見詰めていた。
「ジョージ、君が気付いているのかどうか分からないけど、ここのところ、ずっと変だよ?」
どうしたの、と問いかける声音は沁みるほどに優しかった。
ジョージの頬に、ハリーの手が添えられる。気遣わしげな色をまとった目が、暖炉の炎に揺らいでいた。
自分がおかしいことは知っていた。ずっと前から知っていた。
しかし、ハリーがそのことに気付いていたことは、知らなかった。
誰にも知られないよう、奥底に隠していたものに、ハリーは気付いた。
頬に触れていたハリーの手に、自身の手をそっと重ねる。
ずっと前は何も意識することなく触れていたはずなのに、随分と懐かしい温もりに感じた。
いや、以前に感じていたそれよりずっと熱い。これが、自分の手の温度なのか、それともハリーの手の温度なのか、判別できない。
もう片方の手で、ハリーの頬に触れた。滑らかな感触を指先が脳に伝える。
もし。
もし、このまま、この顔を引き寄せて唇を重ねてしまったら。
もし、このまま、この身体を思い切り抱き締めてしまったら。
もし、このまま――、
「ジョー、ジ?」
不安げに自身の名を呼ぶ声が耳に届く。
沸き上がった熱を一気に冷やしてくれた。
「悪い、何でもないよ」
ソファから腰を上げ、両手をポケットの中に突っ込んだ。ハリーの曇り顔を晴らすために、いつもと同じようなからかい調子の笑みを浮かべて見せる。
「ここのところ、アのつくピンク色をどうしてやろうかってことで、頭を悩ませっ放しでね。心配かけたみたいだな。近いうちに、あいつにはとびっきりのプレゼントをしてやるから、楽しみにしてくれよ」
いつもと同じような笑みに、いつもと同じような軽口を叩いてやると、ハリーは安堵したように息を吐いた。
「そっか、それならいいんだ」
「じゃ、俺はフレッドと打ち合わせでもしてくるよ」
ハリーには、何も言うつもりはない。フレッドにも、誰にも言うつもりがない。
ハリーへの想いに気付いたのは自分が先だった。
その認識が、心の深いところに押し込んでいたものをじりじりと焦がし始めている。
小さな炎を消す方法は、いまもずっと、見つからない。
end.