ハリーが五年生になったとき、フレッドとジョージは自身らの店を構える算段をつけていた。その背景には、ハリーによる助力も大きく関係しているのだが、そこまでしっかりとした準備を重ねることができたのは彼らの努力の成果だと思っている。
厳しい罰則が次々と発足されていく中、二人はお構いなしに自身らの商品を宣伝していた。大抵二人は一緒に行動しているのに、その日は珍しく、ジョージだけが談話室にいた。グリフィンドールの生徒を相手に面白い商品を見せていたが、その隣にフレッドの姿はなかった。
どこにいるのだろう。
談話室を見渡したが、それらしい姿はない。
ハリーは階段を上り、フレッドたちが使っている部屋を覗き込んだ。上級生の部屋に顔を出すことは滅多にないが、寮の中で彼がいる可能性が最も高い場所はそこだった。
ドアを少しだけ開け、片目で中を覗く。もしフレッドがいなかったら、あるいは他の生徒がいたら、すぐに退散するつもりだった。しかし、わずかな隙間から見えた部屋の中には、フレッド一人しかいなかった。ドアの真正面のベッドの上であぐらをかき、羊皮紙に何かを書き込んでいる。時折、脇にある百味ビーンズの箱に手を突っ込んでいた。柄を確かめると、口に放り、顔を顰めてから再び羊皮紙に書き込む。
フレッドが、ハリーも知っているような一般的な菓子を食べていたことに驚いた。ここのところ、彼らは自らの開発した商品ばかり持ち歩いている。二人とも、ハリーの見たこともないような菓子によく囲まれていた。
「そういうのも食べるんだね」
ドアを開け、フレッドに声を掛けた。そこでやっと来訪者に気づいたらしいフレッドは顔を上げ、ニヤッと笑った。
「やぁ、ハリー。こんなところに来るなんて珍しいじゃないか。どうしたんだ?」
「うん、ちょっとね」
君を探しにきたんだ、とはさすがに言えず、言葉を濁して笑った。
話題を変えようと、フレッドの羊皮紙を指した。
「それ、何を書いているの?」
「あぁ、これかい?」
言いながら、フレッドは傍らの箱に手を入れた。
「こいつの研究資料さ。新しいものを生み出すには既存の商品を調べるのも大切なのだ」
大仰な動作で箱からタフィーを摘まみ上げる。クリーム色の粒だった。
「残念、こいつの味はもう知ってる。マシュマロだ」
マシュマロの味がするのならむしろ喜ばしいことのようなのに、フレッドは肩を落として口に入れた。何度か噛んだ後、「やっぱりマシュマロだ」と呟く。
タフィーを食べたのに、今度は羊皮紙に何も書こうとしない。
あの羊皮紙に何が書かれているのか、見当がついた。
「百味ビーンズの味をメモしているの?」
「そうだ。でもそれだけじゃないぜ。色や匂い、食べた後の舌に残る感覚もバッチリ書いてる」
「へぇ、面白そうだね」
びっしりと書き込まれた羊皮紙を覗こうと、彼のベッドへ身を寄せた。だがフレッドは羊皮紙を引き、自身の背中へ隠してしまう。
「おっと、こいつを見たらハリーが百味ビーンズを食べる楽しみがなくなっちまう」
「僕、気にしないよ」
「いーや、駄目だ。何の味かわからないで食べるのが一番だろ」
「でも……」
「ほら、食べてみなって」
フレッドは箱をハリーに向けた。
ハリーとしては、できることなら不味いものは食べたくない。だが、フレッドの笑顔を前に断ることはできなかった。例え、その笑みが悪戯げに輝いていたとしてもだ。
愚かとも単純ともいえる自身に溜息を吐き、フレッドの持つ箱に手を入れた。初めに指先に触れたものを摘まみ上げる。
真っ赤なタフィーだ。つるりとした表面は鮮やかな紅色を発し、その奥に鈍い光を抱えている。宝石のルビーを丸く削り出したかのような色合いだった。
人差し指と親指で慎重に摘まみ、ほとんど全ての味を掌握しているはずのフレッドに見せた。
「これ、どんな味か知ってる?」
フレッドは片眉を吊り上げ、品定めするように粒をじっと見詰めた。しばらくして脇のリストに目を遣ってから、やっとかぶりを振った。
「知らない味みたいだ。チェック済みの赤いやつとは微妙に色が違う。取り敢えず食べてみろよ」
ニヤニヤとした笑みを浮かべて促してきた。この味を知らないと言ったのは本当のようだが、それにしても、面白がるような調子で言っているのが頂けない。
これがどんな味だったとしても、ハリーに拒むことはできないので、再び溜息を吐いてから口に放り込んだ。
美味しいのでありますように。
粒が口の粘膜に触れた瞬間、それが淡い願いであったことがわかった。鋭い刺激が顎に襲いかかってくる。図らずも舌の上へと転がってしまった粒は、強い渋みを脳へ伝えてきた。ハリーの脳は、この物体をすぐに口外へ出せと指令を下してくる。この指令に従いたい気持ちは山々だが、不味いからといって吐き出してしまうのは少々悔しい。きっとフレッドなら、食べた百味ビーンズが人知を超えた味だったとしても口から出すことはしない。
「どんな味だった?」
「なんて……いうか……」
ウェーッ。吐きたくなる味だ。
実のところ、吐き出す選択肢はないも同然なので飲み込むより他ない。しかし、丸飲みしてしまうにはいささか粒が大き過ぎる。あまり気は進まないが噛み砕くしかないようだ。
ようやく意を決し、ハリーが顎を動かそうとしたときに──フレッドの大きな手がその顎を捕らえた。悪戯げに口の端を吊り上げたフレッドの顔が近づいてくる。
「教えてよ」
囁くような音量の言葉に、何を、と訊ね返すことはできなかった。質問をしようとわずかに開いた唇が、フレッドのそれと重ねられた。
柔かい。いや、違う。駄目だ。
「──っ!」
肩を押して離そうとしたがびくともしない。それどころか、ハリーの後頭部にもう片方の手が回された。そちらに意識を向けてしまった隙にぬるりとしたものが口内に入ってきた。
ハリーが感じた攻撃的なあの味を、この舌だって感じているはずなのに、全くもってお構いなしに口の中をうろついている。ハリーの舌が侵入者に捕まるまで、それほど時間はかからなかった。
あたたかなものがハリーの舌を弄ぶように動いた。
脳の奥に何かが突き刺さる。先ほど、ルビー色の悪魔が与えてきた刺激とは違う、とろけるような甘さの刺激だ。
問題のあの粒が依然として口内に存在している今、彼の舌が動く度に甘い刺激と鋭い刺激が同時に襲いかかってくる。
せめて、もし、この粒を噛み砕いて飲み込んでいたなら。
頭の隅にそんな考えが浮かぶ。だが、今は粒の他にも口の中に入っているものがある。これがあるせいで歯を下ろすことができない。まさかこれを噛んでしまうなんてことは間違ってもしたくないので、ハリーは上顎と下顎を今の位置に固定し続けるしかなかった。
ぬるぬるとうごめく舌は、ハリーから力を奪っていく。
何だか、もう。
このまま全て、投げ出してしまっても。
いいんじゃないか。
フレッドの肩を押していた手が、するりと落ちた。
自分にはやるべきことがあって、フレッドにもやりたいことがある。
ずっと一緒にいることはできないとわかっている。
だからこそ、今までフレッドにはこの想いを打ち明けずにいたのだ。
でも。
でも、今は一緒にいられる。
そうだ。
今だけは、このまま。
──このまま。
ハリーの手は伸び、フレッドの首へ回そうとした──が、止めた。
ハリーの舌で遊んでいたそれが急に動きを変えた。はっきりとした意思を持って、何かを探している。ほどなくしてそれは、ハリーの口の中にいた問題児を絡め取って離れていった。
フレッドはハリーから奪ったタフィーを舌で転がして天井を見上げた。
「うーん、こりゃあ、クソみたいな味だな」
口の中が空っぽになってしまったハリーは、ぽかんと口を開けたまま、フレッドを見詰めた。フレッドは何度か咀嚼すると、あっという間に飲み下してしまう。
一部始終の動作を見守った後、ハリーの喉の奥から、煮えたぎるような熱を持った怒りが噴き始めた。
「な……」
「ん?」
「な…………」
「どうした、ハリー?」
「なんだよ、それ!」
喉の奥、いや、腹の底、あるいはもっと下の奈落から爆発を起こした。
「フレッド! 君って! 本当に!」
「わっ!?」
フレッドの身体を力一杯押し、ベッドの上の枕を掴んで投げつけた。残念ながら、羽毛がたっぷりと入った枕では大したダメージを与えられなかったらしく、フレッドはニヤニヤとした笑みを浮かべていた。
勢いのままベッドから立ち上がり、床を踏みつけてドアへ向かった。
「なぁ、ハリー」
ドアノブに手をかけたときに、背後から声をかけられた。目だけでそちらを見ると、やはりニヤニヤと笑っているフレッドが映った。
「君、さっきのタフィーみたいな顔になってるよ」
その一言で更に悪化したような気がした。
「もう! 知らない!」
ドアをもぎ取らんばかりの強さで閉めてやった。
みんなのいる談話室に戻る気にはなれず、自分のベッドを求めて部屋に戻った。途中、ロンに見つかってしまい、顔の赤みを心配されたせいで余計に恥ずかしくなってしまった。