末弟のロンは、兄たちからのお下がり品を好んでいない。持ち物のほとんど全てが新品でないことに思うところがある、その気持ちはパーシーにも理解できた。
ロンがいま使っているものは、かつてパーシーや長兄、次兄が使っていたものばかりだ。それがフレッドやジョージの手に渡ってさらに使い古されてからロンへと譲られている。
パーシーはロンの兄であると同時に、自身も二人の兄を持つ弟でもある。
持ち物のほとんどがお下がりであるというのはパーシーもまた通ってきた――いまもまだ通っている最中ではあるが――道なのだ。
パーシーにも新品を求める気持ちはあるが、ロンよりは強くないだろう。
もちろん、パーシーが使うお下がりは兄二人分だけで、ロンが使うお下がりは最大五人の手を経由しているという違いはある。
それでも、憧れの兄たちと苦楽を共にしてきたものを自分もまた使うことができる事実に、ちょっとした喜びがあった。
兄たちに恥じぬように、と身の引き締まる思いがする。
だからこそ、ホグワーツの夏休みに合わせて帰省した長兄、ビルがしたことに、言いようもない驚きがあった。
「ロン、今年、ホグワーツに入学するんだよな。入学祝いだ、やるよ」
そう言って兄が手渡したのは腕時計だった。
重厚感のある木箱に収められた腕時計は、かつて、ビルの手首に着けられていたものだ。綺麗に磨き上げられているが、革ベルトは日に焼けて、独自の色褪せを演出している。
長い年月を経て、この世にたった一つしかない色味を放つようになった腕時計を、ロンが受け取った。
「うわぁ、ありがとう、ビル」
「どういたしまして。俺が学生の頃から使ってた腕時計だ。時計屋で調整してもらったから、まだまだ使えるぜ。しっかり勉強しろよ。遅刻なんかするんじゃないぞ」
ビルは悪戯げにニヤリと笑いかけた。対するロンは胸を張っている。
「当然だろ。誰よりも真面目に勉強してみせるさ」
ロンはニッと笑って腕時計を手首に巻きつけた。ベルトがまだ長いのか、少し余ってしまっている。ビルがロンに合うように調整し直していた。
あの時計は、元は父のものだった。父から長男に継がれたものが、長男から六男へと受け継がれていく光景を見て、母は涙を浮かべながら何度も頷いている。
「本当に素敵ね。きっとロンも、監督生に――いえ、首席にだってなれちゃうわ」
母の言葉に、ロンが「それはどうかな……」とモゴモゴ言ったのをパーシーは聞き逃さなかった。母の耳には届いていなかったらしく、涙をハンカチで拭いた後、ビルに向き直った。
「あのね、ビル。手紙にも書いたのだけど、今年はとっても素晴らしいことがあるのよ。ロンはホグワーツへ入学するし、パーシーは――パーシー?」
母の言葉を全て聞く前に、パーシーは乱暴な足取りで自室に戻った。ドアを思い切り強く閉めてしまったので、階下まで響きそうなほどに大きな音が出てしまった。しかしパーシーはそのことに気づかなかったふりをして机に向かった。
夏休みの課題はとうの昔に終えている。だからと言って何もせずにぼんやりする気にもなれず、OWL試験に向けて作った予想問題集を引っ張り出した。過去の問題を調べて作った問題集はこの上なく完璧な出来であると自負している。
それなのに、頭が全く働かない。
自分の書いた文章が読めなくなるほどにパーシーの心は荒れていた。
ドアを静かにノックする音が聞こえる。
「はい」と応えた自分の声に、思った以上の棘があったことに驚いた。
「パーシー……あー……ビルだけど、その、どうしたんだ?」
奥歯に物が詰まったような言い方だった。常に自信がある、けれど嫌味のない話し方をする長兄にしては珍しい口ぶりだ。
おや、とドアへ振り返ってみるが、ビルは閉ざされたドアの向こう側だ。どのような顔をしているのか、見ることはできない。
普段と様子の違う長兄に、パーシーの頭が少しだけ冷えてくる。
パーシーは小さく息を吐いてから口を開いた。
「何でもない。ただ……ロンが羨ましかっただけ」
「ロンが?」
ビルの、驚いたような声が聞こえた。
パーシーは、ビルから自分の姿が見えないのをいいことに、子どものように口を突き出して言った。
「ロンがもらった時計は、ビルの前にはパパが使っていたものだ。ビルがあれをつけてホグワーツで勉強しているところを見てた。だから、その、羨ましかったんだ」
もらえるのなら自分がもらいたかった、という言葉は飲み込んだ。
父が使っていた腕時計は、ホグワーツの入学祝いとして兄に譲られた。
憧れの父から憧れの兄へと時計が受け継がれていく様は、まだ幼かったパーシーの目にきらきらと輝いて見えた。
あの時計はいつか自分に譲られるものだ、と思ったことはない。それでも、自分を飛び越えて継がれていくところを見るのは堪えた。
ドアの向こうから「本当に?」というビルの声が聞こえる。パーシーに訊ねたというよりも、思わず出てしまったような調子だった。
「ビル?」
パーシーが名を呼ぶと、「少し待ってくれ!」と焦った声が届く。
ほとんど間を置かず、ぽんと破裂音が聞こえた。続けて母の、「ビル!」と叫ぶ声が聞こえてくる。
パーシーは、何が起きたのかわからず、戸惑いのままドアを開けた。
母が慌ただしく階段を駆け上ってくる。
「パーシー! ビルは何処? まさか、私たちに何も言わずに戻ってしまったんじゃないでしょうね」
「わ、わからないよ。ビルは急に『姿くらまし』て」
目を吊り上げた母に答える前に、再び破裂音が鳴った。
ビルが、パーシーの目の前に「姿現し」たのだ。
ビルはパーシーを見て、母を見て、状況を素早く理解したようだ。口を大きく開いた母に「待って」と制止し、パーシーに向き直る。
「監督生になったんだろう? おめでとう。これは俺からの祝いだ」
言いながら、ビルは鞄を渡してきた。革張りの旅行鞄だ。
「俺が学生のときに使っていたやつだ。パーシーが監督生になったって聞いて、真っ先にこいつを準備したんだ。俺がこいつをじいさんから受け継いだ。傷を補修して、クリームも塗って綺麗にした後に、パーシーはもう鞄を持ってるってことに気づいたんだ。別のプレゼントを用意しようと思ってたんだが……ロンにやった腕時計をおまえが羨んでくれたから、その、これもどうかと思って」
だからこれを取りに「姿くらまし」たのか。
パーシーはチャーリーほど、ドラゴンには詳しくない。しかし、これほど大きな鱗を持ち、丈夫そうな皮を持った生き物は、ドラゴンの他にはいないだろう。
ビルがこれを持って帰省し、再びホグワーツへと向かっていった日々を思い出す。
ビルは補修して磨いたと言っていた。そのおかげか、鞄は記憶と同じように綺麗な状態となっていた。
「使ってくれるか?」
いつも完璧な長兄が、不安そうな様子でパーシーを見詰めてくる。とても奇妙な光景だった。
パーシーは兄の不安を打ち消すように、少々大袈裟なほどに破顔して見せた。
「ありがとう、ビル。大事に使わせてもらうよ」
パーシーの言葉に、ビルはきらりと輝くような笑みを浮かべた。
end.