本日の授業を全て終えたフレッドとジョージは、夕食にありつくべく意気揚々と大広間に足を踏み入れた。二人のお気に入りの人物は、中に入ってすぐに発見できた。しかし何だか様子がおかしい。
しきりに話しかけているロンの隣で、件の彼――ハリー・ポッターは両手で自身の口を覆い隠している。ハリーはロンに頷いたり首を横に振ったりしているが、口から手をどけようとはしなかった。しかもハリーは、ご馳走がふんだんに盛られた目の前の皿をちらちらと見ているのに、一向に食べようとしない。
これは間違いなく、ハリーに何かあった。
判断するやいなや、フレッドとジョージは素早くハリーたちの向かい側の席に着いた。
「よう、お二人さん。今日はえらくお喋りじゃないか。一体全体何があったんだ?」
「ハリーの可愛い声よりもロニー坊やの賑やかな声ばかり聞こえるのはどういう訳だい?」
フレッドとジョージはニヤッと笑い、続けざまに訊ねた。
ハリーは目を瞬かせてからロンを見る。ロンはくいっと眉を上げてから肩を竦め、ハリーに代わって双子の兄たちに答えた。
「どうもこうもないよ。全部ロックハートのせいさ」
ロンの口から出てきた、お騒がせな今年度の「闇の魔術に対する防衛術」担当教授の名前に、ハリーは何度もこくこくと頷いた。
「今日の授業で、ロックハートがまたハリーを助手にしたんだよ、いつものことだけど。あいつ、相手の嘘を見破る呪文を教えるとか何とか言ってさ、訳のわからない呪文をハリーにかけちゃったんだ。ハリーは止めてって言ってたのに、そんなの全然聞きやしないし」
「で、ハリーにその呪文がかかっちまったと」
「ハリーの嘘はロックハートに見破られちまったのか?」
ロックハートがどんな呪文をかけようとしていたのかはわからないが、人の精神に作用する呪文は大抵、高度な技術を要する。ロックハートの腕で正しくかけられたとは思えない。
案の定、ロンはゆるゆるとかぶりを振った。
「嘘を見破るなんてもんじゃないよ。ハリーは今、嘘を吐けなくなっちゃったんだ。……え? ちょっと違うの? アー、何だろう、目の前にいる人に対して思ってることが出ちゃうとか、そんな感じ? ――ウン、そんな感じだって」
ハリーに脇を小突かれながらロンが説明してくれる。
「授業のときなんかすごかったよ。ハリーの目の前にはロックハートがいただろ? で、呪文がちゃんとかかってるか確認するために訊いたんだ。あなたは私――ギルデロイ・ロックハートのことを、尊敬できる、とても格好良い教授だと思っていますねって。僕、一瞬、ロックハートの奴は嘘を見破る呪文なんかじゃなくて、自分の思ったままのことを相手に言わせる呪文でもかけちまったんじゃないかって思っちゃった。でも――」
ロンは複雑そうな表情で話を続けた。笑い出しそうになるのを無理に堪えているような顔だった。
ロンによると、ハリーの口からとんでもないほどの文章量が流れ出てきたらしい。
尊敬できるところは小指の爪ほどもないし、自信だけが過剰にあるのは傍迷惑だし、実際に成功できもしない呪文を人にかけるのも止めて欲しいけど、顔はいい。服装が小洒落ているのも腹が立つ。
そんなことを本人の目の前で言い放ったらしい。
ハリーは慌てて口を抑えたが、全て言い切った後だったので遅かったそうだ。
「僕、ロックハートから減点されちゃうのかと思ってドキドキしちゃった! でもあいつ、すんごく都合のいい耳してるみたいでさ。『顔がいい』とか『服が小洒落てる』ってとこだけを聞き取って、むしろ十点もくれたんだ。ほんと、おめでたいよ」
以降ハリーも、言わなくてもいいことまで言ってしまう状態になった自覚があるらしく、自らの口を手で塞いで過ごしているとのことだった。
ちなみに、ハーマイオニーは解決策を探すため、図書室に行っているらしい。
「……ってことは、ハリーは今、思ってることが全部出ちまうってことか」
まとめるようにジョージが言った。
「そういうことだね」
ロンが頷いて応える。隣のハリーもまた、普段より三割増しで大袈裟な仕草で頷いていた。
「さっき、マルフォイに会ったときにうっかり口を利いちゃったんだけど、いつも通りだったよ。まぁ、いつもよりキツめの嫌味が出てきたような気もするけど」
ハリーが心底嫌いな相手――会えば喧嘩をするような人と会う分にはそれほど影響がないようだ。
「じゃ、ロンといるときも無理に口を塞がなくてもいいんじゃないか? ロンにそれほど不満があるってわけじゃないんだろ?」
「思うところは多少なりともあるかもしれないけどな。ハリーだって、ずっと口を閉じてたら飯も食えない。親友の食事のために、ロニーは耳を塞いでいればいいんじゃないか?」
言わなくてもいいことを言ってしまうのは本人にとっても気持ちのいいものではないだろう。
だがハリーが空腹のままでいるくらいならと、フレッドとジョージは愛する弟の耳を喜んで塞ぐつもりだ。
しかし、この提案に強く拒否の意志を示したのはハリー本人だった。こんなにも物欲しそうな顔で皿の上の料理を見ているのにもかかわらず、ハリーは首を横に激しく振っている。
その横で、ロンはへにゃりとだらしなく相好を崩した。
「僕も同じことを言ったんだけどね……ハリーは僕を前にしていると、僕のことをすごく褒めてくれるんだ。僕はいくらでも聞いてたいんだけど、ハリーは恥ずかしいんだって。へへへ……」
ハリーはぎゅっと眉間に皺を寄せてロンを見た。
ロンに対して言った内容に偽りはなくても、ロンに直接言ってしまったのは不本意な事態だったのだろう。
ロンの前でも口を覆い続けている理由はわかった。
こうなってくると、ハリーが一体どんな褒め言葉を言ってくるのかが気になってくる。
嫌味や皮肉は概ね見当がつく。
彼の従兄弟であるダドリーや、マルフォイについて話すときに時折出てくる切れ味の鋭い言葉を思い出す。
ハリーは元々、人のことを褒めないような人ではない。自らの好意を隠すような人でもないので、ハリーの放つ褒め言葉が全く想像つかないなんてこともない。
だが、ロンがここまでだらしない顔になるほどの――また、言った本人がここまで頑なに拒むほどの褒め言葉となると興味が湧いてくる。
さてどうしたものか、と思案しているうちに、オリバーがやってきた。
「ハリー! ここにいたのか。フレッドとジョージも一緒か。丁度良かった。練習時間が変わったんだ。今日の夕方から始めるぞ」オリバーは鼻息荒く言った。
「いいか、次はスリザリン戦だ。絶対に負けられない。奴らを倒すために完璧な練習メニューを組んできた。ハリー、必ずあの、鼻持ちならないシーカーより先にスニッチを取るんだぞ!」
ばん、とオリバーハリーの背を叩いた。あまりの強さに、ハリーの手が口から外れてしまう。
ロンから、ああっという焦った声が出てきたが遅かった。ハリーの口は解放されている。
「どうした? ハリー」
訝しげにオリバーがハリーの顔を覗き込んだ。ハリーは背の痛みにやや顔を歪めながらも口を開いた。
「ウッドは本当にクィディッチが好きだよね。僕、ウッドが勝利に貪欲なところが好きだよ」
え、と声を漏らしたのはオリバーだったのか、あるいは自分か、はたまたジョージだったのか。
ハリーはぽかんと自分を見つめる三人を見て、不思議そうに首を傾げた。
「ウッドは素晴らしいキャプテンだと思う。クィディッチの練習は誰よりも熱心だし、グリフィンドールの勝利のためにいつも色んなことを考えてくれてるって、僕、知ってるんだ。たまに、目がどうかしてるって思うこともあるけど、僕はウッドだからついていこうって思える。ウッドの、そういうところが好きなんだ」
そこまで言って、ハリーは喋るのを止めた。右から左へとハリーを見詰める面々を見てやっと、ハリーはハッとしたように口を手で覆った。
フレッドはそろりとオリバーの顔を覗き込む。
オリバーの顔はじわじわと赤くなっていった。
「いや……はは、そうか。うん……ありがとう、ハリー。次は、うん、絶対に勝つぞ」
力の抜けた声でそう言うと、オリバーはよろめきながら大広間から出て行った。
「オリバーの奴、いつも自分のことは後回しで俺たちのことばっかり褒めてるから、自分のことを褒められると弱いんだな」
感心したようにジョージが言う。
オリバーとは長い付き合いになるが、新しい一面を見たような気がした。何かあったら褒め殺しにしてやろう。
さて、とフレッドとジョージは共にハリーに向き直った。ハリーは再び口を封じている。
ハリーの反応を見ていると、ハリーの意思に関係なく、会話相手に抱いている気持ちが出てしまうようだ。
これは、ハリーが自分たちをどう思っているのかを知る、絶好の機会だ。
フレッドとジョージは同時に腕を伸ばし、ハリーの手首を掴む。
「ハリー、ちょーっとだけ手を外してみてよ」
「ほんのちょっとだけさ。すぐに戻していいから」
ハリーはぶんぶんと首を横に振り、口を覆う手の力を強めてしまった。
ハリーの頑なな拒否の姿勢を見たロンは傍らで「あーあ」と呆れたような声を出した。
「さっき、スネイプのときも同じような感じだったよ。スネイプが無理やり手をどけて喋らせちゃったんだけど、ハリーったら、スネイプの嫌いなとこをせーんぶ言っちゃったから、十点減点されたんだ。ロックハートからもらった得点があっという間に消えちゃった」
自分が嫌われるようなことばっかりしてるのが悪いのに、とロンがぶつぶつと呟いた。
フレッドとジョージの手から少しばかり力が抜ける。その隙にハリーは二人を振り切り、身体を引いて、ロンの背中に隠れてしまう。
「ハリー! お待たせ!」
フレッドとジョージがハリーと攻防している間に、ハーマイオニーが戻ってきた。
図書室から戻ったハーマイオニーは、救いを求めるような目をしているハリーに、かぶりを振って応えた。
「ごめんね、ハリー。私、思いつく限りの本を探したんだけど、今すぐに治す方法は見つけられなかった。でも、かけられてから半日もしたら自然と治るみたいなの! 安心して」
効果が永続するわけではないが、今すぐ治るわけでもないとの報告に、ハリーは複雑そうな表情をしている。
ハーマイオニーの報せに、フレッドはふむ、と顎に手を添えて彼女に訊ねた。
「ハリーが呪文を駆けられたのは何時頃だった?」
「今日の午後一番の授業よ」
「ってことは、ハリーが治るまではあと小一時間程度ってところか」
ハーマイオニーの回答を受けたジョージが、フレッドと同じような仕草で、ふむとこぼす。
フレッドとジョージは顔を見合わせて思案した。
自分たちがハリーに嫌われているとは思えない。
自信過剰かもしれないが、スネイプやマルフォイほどに嫌われていることはないと断言できる。さらに言えば、オリバーよりも好かれているのではとすら思う。
ハリーからの心からの言葉を聞く機会は滅多にない。その貴重な機会はあと一時間もせずに失われてしまう。
それならば、やることは決まっている。
フレッドとジョージはほとんど同時ににんまりと笑った。
「やるか」
「決まりだな」
「何なの……?」
ハーマイオニーが訝しげに二人を見てくる。
ジョージはポケットから爆竹を取り出して着火し、素早く放り投げた。ハリーたちが音に怯んだ隙に、フレッドがひらりとテーブルを越え、ハリーの身体を抱える。
「フレッド! ジョージ! 待ってよ!」
ロンが慌てて立ち上がって引き留めてきたが、従うつもりはない。
一目散に駆けてグリフィンドール寮に向かう。「太った婦人」を越えると談話室を抜けて、フレッドとジョージの部屋まで走った。
勢いよくドアを開け、ジョージが中を覗く。左右を確認するとフレッドに振り返った。
「オーケー、誰もいないみたいだ」
「よし、上々だ」
フレッドは、運び込んだハリーを自分のベッドに下ろした。ハリーは眉間に皺を寄せながら依然として手で口を塞いでいた。
「さてと」
「手を退かしてもらおうか」
フレッドとジョージが同時に手を伸ばし、ハリーの手首を掴んだ。ハリーはぎゅっと目を瞑り、口を塞ぐ手にさらに力を込める。
二人で思いっきり力を入れたら外せないこともなさそうだが、そこまで無理を強いるのは流石に嗜好に反する。
どうしたものか、とジョージと顔を見合わせた。
思いついたのはほとんど同時だった。
二人で揃って指をぱちんと弾き、すぐに行動に移す。
まず、ジョージがハリーの後ろに回り、背後から身体を固定した。次にフレッドが、ハリーの無防備な脇腹に狙いを定める。
「さぁハリー。いつまで耐えられるかな?」
にんまりとフレッドが笑った。
ハリーの、手で隠された口元がひくりと痙攣したように見えた。
「――ははははっ!」
フレッドとジョージがハリーをくすぐり始めて間もなく、ハリーは口を開いた。
「ほぅら、どうだ?」
「そろそろ力も入らないだろう?」
フレッドもジョージも、くすぐりに関しては一家言持ちだ幼少のみぎりから今に至るまで、兄弟たちをくすぐってきたのだ。
ハリーの陥落は早かった。
「は、はは、ひ……はっ」
呼吸も怪しくなってきた。フレッドは脇腹から手を離す。
ハリーは手を口元へ戻そうと抵抗を試みたが力が入らないらしく、ジョージの手を振り払えずにいる。
そろそろかな。
わくわくと胸を躍らせながらハリーの言葉を待った。
涙を浮かべて笑っていたハリーが、鉄壁だった口を開いた。
「――僕、フレッドとジョージのこと、大好きだよ」
「へ」
「は」
フレッドとジョージは口をぽかんと開けた。
ハリーはなおも続ける。
「二人の悪戯のおかげでみんなの間でいつも笑いが絶えないし、二人のところに救われてきたことがたくさんある。たまに、やり過ぎてるって思うこともあるけど、僕は二人のことが大好きだよ」
ハリーから流れるように言葉が出てくるのを、二人は呆然と聞いていた。
ハリーに嫌われているとは思っていなかったが、多少の罵倒が出てきたとしてもそれはそれで面白いと思っていた。
しかしまさか、真正面から「好き」と言われるとは思ってもみなかった。
フレッドとジョージは妙な照れくささから、あー、とか、うー、とか言いながら明後日の方向を見る。これでは、自分への褒め言葉に弱いなどとオリバーを笑えない。
「フレッドもジョージも、クィディッチでは何度も助けてくれる。この前のレイブンクロー戦のときも、『暴れ球』が僕の方に向かってきてたけど、フレッドがすごい速さで来てくれて――」
「君の気持ちはよぉくわかった。ありがとう」
「そろそろロンたちのところに戻ろうか」
ジョージがハリーの身体を助け起こしながら言った。すでにハリーの手は自由になっている。いますぐハリーが自らの口を再び覆ったとしても、フレッドもジョージも止める気はない。
ハリーはぱちくりと目を瞬かせ、目の前のフレッドと後ろのジョージを交互に見詰めた。
ほのかに頬を染める二人を見たハリーは、何か閃いたのか表情を明るくした。さらに悪戯げな笑みを浮かべている。
「ハリー?」
不思議に思ったジョージがハリーの顔を覗き込むと、
「――うわぁ!?」
ハリーが素早く振り返り、ジョージのネクタイを引いた。続いてジョージの耳元に口を寄せ、何事かを囁く。
「ジョージ!?」
フレッドが慌てて相棒の名を呼ぶと、ジョージは両手で自身の顔を覆って後方へ倒れた。
「ごめん……無理」
髪の隙間から見える耳が真っ赤に染まっている。
勝ち気な笑みを浮かべたハリーが、じわじわと距離を縮めてくる。知らず、フレッドの身体は後退していた。
「ハリー、悪かったよ。無理矢理連れてきて話させてごめん。だから、な? このままロンたちのところに戻ろうぜ?」
フレッドのネクタイに、ハリーの手が伸びる。顔が近づいてくる。
ハリーの心からの言葉は嬉しい。それがたとえ悪口だったとしても楽しい。だが、純粋な好意を示す言葉は少し、刺激が強過ぎた。
「待って、ハリー!」
フレッドの願いも虚しく、ハリーの口が開かれる。
* * *
大広間から連れ去られたハリーを追って、ロンとハーマイオニーがフレッドたちの部屋に乗り込んできたのはそれから間もなくのことだった。
ハーマイオニーに至っては杖を構えての襲撃だった。
フレッドたちがハリーに酷いことをするはずないと思われてはいたそうだが、最悪の場合も想定されていたらしい。しかし部屋に乗り込んだ彼らが目にしたものが、さめざめとなく双子の姿だったので一同面食らっていた。
「酷いよ、ハリー」
「責任取ってよ、ハリー」
顔を覆ってしくしくとベッドに伏すフレッドとジョージと、満足そうに笑うハリーを交互に見比べて、ロンたちは疑問に首を傾げていた。
数日後のホグワーツでは、ハリーがフレッドとジョージをまとめて抱いたという噂がまことしやかに流れた。
ハリーは大慌てで否定したものの、フレッドとジョージが悪乗りして煽ったため、噂が落ち着くまで時間がかかっている。
ハリーは今も、同学年のハッフルパフたちに必死で否定している。
そんな後ろ姿を見ながら、フレッドとジョージは腕を組んで溜息を吐いた。
「しかし、なぁ、ジョージ」
「だよなぁ、フレッド」
フレッドとジョージが抱かれたなんて噂は面白かったが、早くも飽きがきてしまった。
「逆だってこと、そろそろ教えてやるべきかな?」フレッドが言うと、
「まぁ、他の奴らが知る必要はないけど、ハリーだけは、な?」とジョージが言う。
ハリーからはたっぷりと愛の言葉をもらったのだ。今度は自分たちの番だ。
フレッドとジョージは、にぃ、と口の端を吊り上げて笑った。ふとこちらに振り返ったハリーは、きょとんとした顔で二人を見詰めてくる。しかしフレッドとジョージのやたらと機嫌の良さそうな笑みに、ふるりと身体を震わせて顔を青ざめさせたのだった。
end.
絵文字拍手