休暇の帰省で、真っ先に目に入ったのは長兄の姿だった。既に就職しているビルは隠れ穴を出ているのだが、ホグワーツ の休暇に合わせて彼も帰省していたようだ。長身を屈めて庭の隅で何かを探っている。庭小人の駆除をしているのではないらしい動きに首を傾げ、チャーリーはビルに近寄った。
「何してるの?」
声をかけると、長い前髪を掻きながらビルが振り返る。チャーリーか、と笑った顔は、在学中に見たそれと同じもので、わずかながらに懐かしさを感じる。それでも黄色い悲鳴を上げていた生徒達の気持ちは未だに理解できない。
「お帰り。フレッドとジョージはどうしたんだ? 一緒じゃないのか?」
「さぁ、あの二人は知らないな、特急には乗ってたと思うけど」
パーシーとは一緒に来た。だが、そのパーシーは先に隠れ穴の中に入っている。
暴れ球のようにあちこちへ走り回る双子の行方は把握していない。ホグワーツでも別行動を取ることが多い。いや、むしろチャーリーと共に行動することはなかった。彼らが常に何かと目に留まる行動をしているので、視界に入ってはいるのだが兄弟で過ごすことはあまりない。ハグリッドにはあの双子をどうにかしてくれと懇願されたが、残念ながらあの弟達はチャーリーの手に負える案件ではなかった。
案外、ホグワーツに残って禁じられた森に入る手をあれこれと試しているかもしれない、と思考を巡らせたところで、ビルの持っているものに気づいた。
「何だい、それ」
「あぁ、これか? 見ての通り、木の枝だよ。手頃だろ?」
細い枝をひゅんと振って見せると、それをチャーリーに手渡してきた。チャーリーもまた、ビルを真似て枝を振り、風を切る。確かに手頃なサイズだ。長さは短いものの、太さは杖に近いものがある。
「で、これが何?」
「ん? お前にやるよ」
いや、渡されても困る。
木の枝を振り回して遊ぶ年齢はとうの昔に過ぎてしまった。
しかし長兄はにっと笑むだけでさっさと隠れ穴に入ってしまう。残されたチャーリーは、もう一度枝を振った。もちろん魔法は使えない。無意味に空を切るだけだった。
どうしたものか、と小さく嘆息すると同時に両肩を叩かれる感触がした。
「何だい、チャーリー。浮遊呪文の復習でもしてるのかい?」
「僕達が思うに、振り方がなってないね。あと杖も貧相だ」
両側から畳み掛けるように言葉が投げ込まれる。左右に立つ双子はにやにやした笑みを浮かべていた。
「何処行ってたんだ?」
「折角の帰省だ、学校からそのまま帰っちゃ詰まらないだろ。あっちこっちとフラフラしてただけさ」
「安心してくれよ、マグルの街には行ってないから。まぁ、その近くまでは行ったかもしれないけど」
自分達の所行を隠す気もない言葉に呆れてしまう。ともすれば、目の前の兄が自分達を減点の対象とすることもできる存在だと分かっているのだろうか。分かっているのだろう。そして、休暇中の今はチャーリーにその権利がなく、休暇中に何処へ行こうと二人の勝手であることも承知しているのだ。
隠れ穴に入った双子の後を追い、チャーリーも中へ入る。帰宅したばかりの双子の兄達の身体を末の弟が捕らえていた。何やら学校で教えられた呪文をせがんでいるらしい。その近くでパーシーが教科書を開いているが、彼は我関せずといった態度を貫いていた。
「おひさま?」
ロンの言葉に、フレッドが神妙な顔で頷く。
「お陽さま、雛菊、溶ろけたバター。デブで間抜けなねずみを黄色に変えよ! だぜ」
「本当にそれでスキャバーズが黄色になるの? やってみてよ!」
脇のジョージが舌を鳴らして指を振る。
「いやいや、非常に残念だが、僕達は今、実践して見せることができないのだ」
「学校以外で魔法を使うことは禁じられている。だろう、パース」
「当然だ、未成年魔法使いの制限事項令に書かれている!」
パーシーは得意げに鼻を膨らませて答えた。生真面目な三男の返答に、フレッドとジョージの二人は眉尻を下げる。その表情は真剣そのもので、その性格を知らない者が見れば彼らがとても残念に思っていると感じることだろう。だが生憎、双子の兄であるチャーリーは彼らの性格を熟知していたし、何だったら二人が嘯いた呪文が真っ赤な嘘であることも知っていた。
呪文学の成績も良いと自慢していたパーシーがそれに気づいていないはずはないのに、双子の悪戯に関わるつもりがないらしく、教科書から目を離そうしない。頼りの長兄は三人のやり取りを微笑みながら見守っている。
「ものは試しだ。ちょっとやってみろよ」
「しっぽの先くらいは黄色くなるかもな」
「よーし!」
哀れ末弟はすっかり信じ込み、腕まくりをしてスキャバーズに向き直った。己が何をされるのか知っているのか否か、年寄りネズミはロンをちらりと見上げただけで、すぐに餌に興味を戻す。
「おひさまぁ、ひなぎくぅ、とろけたぁばたー、このでぶねずみを黄色にかえよ!」
何も起こらない。
当然だ。
諸悪の根源ともいえる双子は今にも腹を抱えて笑いだしそうだったが、ロンが困ったように見上げてくるため、辛うじて堪えているようだった。
「ちょっと呪文が違ったのかもな」
「または杖がないのが悪いのかも」
「そっか、杖か!」
ジョージの言葉にパッと顔を輝かせたロンは、台所へ駆けて行った。そして数秒で戻ってくる。
「ママに頼んだけど、入学前に杖なんて渡せないって……」
どん底に表情を落ち込ませたロンの肩をフレッドが叩いた。
「だろうな、残念だったな」
フレッドに続き、ジョージも空いている肩を叩く。
「杖を手に入れたら試せよ」
弟を慰める出来た兄の如く優しさを込めた手つきで、ぽんぽんと軽く肩を叩いて、二人は階段を上って行った。
残ったのは、この世の終わりのような顔で机に突っ伏す末弟と、教科書を最初のページから読み直した三男、小さな粒まで逃すまいとする執念で餌を食べつくすネズミに、朗らかな笑みを浮かべたままの長兄、そして木の枝を持ったまま立ち尽くす次男であるチャーリーだった。
ひゅん、と木の枝を振る。長兄の笑顔が更に深くなった、ような気がした。
溜息を吐きたくなる衝動を抑えて、ロンに声を掛けた。
「あー、ロン」
じとりと沈んだ目でロンがチャーリーを見上げてきた。
パーシーまではともかく、ロンやジニーといった歳の離れた弟妹にはどう接したらいいのか、未だによく分からない。
空いた手で頭を掻き、木の枝を差し出した。
「取り敢えず、杖代わりに」
ロンは、自身に向けられた小ぶりな枝を見てからチャーリーを見て、もう一度枝に視線を落としてから、再びチャーリーの目を捉えた。先ほどまでの重い雲は何処へ飛ばしてしまったのやら、二度目にチャーリーの顔を見たときには晴天の笑みだった。
「ありがとう、チャーリー!」
木の枝を受け取ったロンは、まだ何かを食べていたスキャバーズをひったくるようにして抱え上げ、階段を駆け上っていった。その姿が見えなくなったところで、長兄に向き直る。
「分かってたなら自分で渡せば良かっただろ」
「何のことかな」
ふふ、と笑うばかりで答えようとしない。
そうやって笑って誤魔化されるのは彼に好意を抱く女性だけだ。チャーリーには効果がない。
「ロンがフレッドとジョージに呪文を聞きたがるって読んでたんだろ。ロンが杖が欲しがるってことも。ついでに、あいつらが嘘の呪文を教えるってことも分かってたんじゃないか」
だから手頃な枝だと言っていたのだ。そうでなければ、この兄が庭仕事でもないのにわざわざ枝を探すのはおかしい。
「次からは自分でやれよ」
呪文をねだる弟も、悪戯が好きな弟も、更には実家に帰っているのにも関わらず知識を貪り続ける弟も、全て等しく愛しげな目で見守っていたのだ。彼らを可愛がる役目は自分でやればいい。
チャーリーの言葉に、ビルは小さく笑った。
「俺がやったら意味がないだろ」
肩を竦めて、台所へ足を向ける。壁から身体を隠してこちらを見守っていた幼い妹の頭を撫でて、奥へと消えていった。
一つの可能性が過り、チャーリーは声を漏らす。
「まさか」
あの兄は、面倒見がよくて弟達を等しく愛する長兄は、次男も含めた全てのきょうだいを見守っていたというのか。上手く話せないでいる次男と末弟の間を取り持ったつもりなのか。
その証拠なのか、休暇の間中、ロンはずっとチャーリーにまとわりついて呪文のことを訊いてきた。フレッドとジョージのように冗談を言えず、かといってパーシーのようにすげなくあしらうこともできない。困った挙句に目でビルに助けを求めるが、面白がっているような慈しんでいるような、何とも言えない笑みを返されるだけだった。
end.