あれからハリーの視線は、以前ほど熱いものではなくなった。
こちらを見ているような気がして振り返ってみると、目を逸らしたばかりのハリーが視界に入る。そんなことは何度もあった。
だが前のような、きらきらと輝く目はしていない。心なしか、もの悲し気な顔をしていた。
ジョージがそう思いたいだけなのかもしれない。
盗み聞きをした上にあんな態度を取ったのだ。ジョージに向けられていた感情が変わったとしてもおかしくはない。むしろそうであってほしい。
ジョージがハリーと二人で話すことはなくなった。
元々、二人きりで話した回数はそれほど多くない。大抵、ハリーの傍らにはロンかハーマイオニーがいるし、ジョージの傍らにはフレッドがいる。
会えば挨拶をするし、フレッドが話しかけに行けばついていく。
表面上はいつもと何も変わらなかった。
フレッドが、ジョージとハリーの間にあったことに気付いた様子もない。
ハーマイオニーは、ジョージとハリーが顔を合わせる度におろおろしている。ロンはあの現場にいたせいもあってか、二人に何かあったのだろうかと訝しんでいるようではあった。しかし、それ以上の興味を持ってはいないらしい。
フレッドが気づいていないのであれば、それで良し。
このまま一年を過ごしてしまえば、ジョージは卒業する。その間にハリーはジョージへの気持ちなど忘れてしまうだろう。
恨むようになっているかもしれない。
ハリーの抱くものがジョージを求めるような熱情でなければ、どんな負の感情でも良いように思えた。
あまりにも長く、ジョージとハリーの気まずい関係が続いてしまうと、フレッドも気づいてしまうかもしれない。
そんな心配もしたが幸いなことに、いまのフレッドにはそれ以上に頭を悩ませるべきことがあった。フレッドだけではない。ジョージもまた、頭を捻らねばならないことだ。
近頃、アンブリッジの身勝手な行いが加速している。増やされた罰則の数が尋常でない。
このうちのいくつかは――ハーマイオニーに言わせるといくつもらしいが――ジョージたちが原因となって増やされたものもある。
掲示された罰則たちを睨みつけながら、フレッドはむっすりと腕を組んでいた。
「ジョージ、新学期が始まる前に、俺に言ったことを覚えてるか?」
ジョージは瞬きした。
唐突に振られた話題についていけずに沈黙していると、フレッドが続けた。
「俺たちはもう、夢を叶える準備が整ってる。だから今年はどうするかって話をしたよな」
言われて、思い出した。
フレッドはアンブリッジの監視を警戒して、明確な言葉を使わずに話している。だが何を指しているのかすぐに察せられた。
フレッドは、自主退学を持ちかけているのだ。
「本気か? 前に話した時はあまり乗り気じゃなかっただろ」
あのときは、どこか上の空でホグワーツへ戻ろうと答えていた。フレッドがホグワーツへ戻りたがった理由の一つはよく知っている。他でもない、フレッドの口から再び退学のことを持ちかけられるとは思わなかった。
「……フレッドは、ハリーから離れるのを嫌がると思ってた」
ぼそりと零した言葉に、フレッドが目を見開いた。しかしすぐに破顔する。
「まぁな。本音を言うと、まだホグワーツにいたいよ。俺たちが早めに離れたせいで、他の誰かがハリーと一緒になるなんてことがあったら嫌だしな」
フレッドに言われ、自分たちがハリーの近くにいたことが他の者たちへの牽制になっていたことに気づいた。
フレッドはただ、ハリー恋しさのために近くにいただけではなかったのだ。
ハリーが人気者であることは知っていたのに、フレッドの意図には全く気づかなかった。
同時にジョージは、今の今まで、ハリーがフレッド以外の人間――フレッドでもジョージでもない人間と結ばれる可能性があることを考えてもみなかったことに驚いた。
ハリーが、フレッドではなく、ジョージと結ばれる。これは許容し難いことだ。
フレッドがハリーを好いているのなら、ハリーはフレッドと結ばれてほしい。では、ハリーがフレッドでもジョージでもない人間を選んだら、自分はどう思うのだろう。
ハリーのそんな選択を、受け入れられるのだろうか。
どろ、と暗く、重いものが胸の中に流れ込む。――いや、ハリーの心を受け入れない自分に、そんなことを考える資格はない。
ジョージは軽くかぶりを振った。
ハリーがフレッドを選んでくれるなら、それが一番なのだ。
「フレッド、最後までハリーには何も言わないで行くつもりか?」ニヤリと笑いながらジョージは言った。
「これからは簡単に会えなくなるんだ。盛大にぶちかましてやろうぜ」
自分たちが去った後も、他の人間がハリーに近づけなくなるくらいの勢いで、ハリーの心を強く惹きつけるほど派手に、思い切りやってくれ。
ジョージが詮のないことを考える必要がなくなることを願いながら、ジョージはフレッドの背中を押した。
* * *
決行の日、大量に作り込んでいた花火に火をつけて、可愛らしいピンクの教師にかましてやった。
「ウィーズリー・ウィーザード・ウィーズをごひいきに!」
二人で声を上げながら箒で飛び回る。下らない罰則なんてものは全て蹴散らした。
お祭り騒ぎとはこういうことを言うのだろう。最高だ。
視界の端に、笑っているハリーの姿が映った。旋回した刹那、彼と目が合ったがすぐに逸らす。今は花火でアンブリッジを追い立てるのに忙しい。向こうからは、そんな顔に見えていたはずだ。
「ほら、とっておきだ!」
先行して飛んでいたフレッドが、ポケットから花火玉を取り出し、放り投げると同時に杖で着火した。どぉっ、と一際大きな音が鳴り響く。
その場に集まっていた全ての人々――絵画やゴースト、ピーブズまでもがフレッドに目を遣った。
視線を横へ投げたかと思うとその先にいたハリー目掛けて急降下していく。
「ハリー!」
唐突に目の前へ来たフレッドに、ハリーは目を瞬いた。
フレッドはそんなハリーの様子に構うことなく、彼の頬へと手を伸ばした。脚だけで箒に跨り、自由にした両手でハリーの頬を包む。
「ハリー、愛してる」
フレッドが、ハリーに口づけたのが見えた。
わずかな静寂の後、先ほどとは違う種類の喧騒が湧き上がる。はやし立てているのか、野次を飛ばしているのか、あるいはフレッドに罵声を浴びせているのかわからなくなるほどの騒音だ。
フレッドの影がハリーと重なったのは短い間だった。
フレッドはすぐにハリーから離れ、呪文を撃とうとしてる連中から逃げるため、高く飛翔する。
残されたハリーはぽかんと口を開けたままだった。状況を上手く飲み込めずにいるのが手に取るようにわかる。
戸惑ったままのハリーは、さまよわせた視線の先にジョージを捉えた。
ジョージは静かにハリーへ近づく。
周囲が再び騒がしくなった。ジョージもハリーにキスをするつもりだと思ったのかどうかは知らないが、周りの人々のことは無視する。
ジョージはハリーをしばらく見詰め、ぱちんと片目を閉じてウィンクしてみせた。
「フレッドのこと、大事にしてやってくれよな」
ハリーは目を見開いた。しばらく呆けた顔をしていたが、みるみるうちに眉根が寄せられていく。
「ジョージ!」
強い口調だった。激昂しているといっても過言ではない。
ジョージはフレッドを追って上昇する。
「ジョージ、待って!」
呼び止める怒声を無視し、フレッドに目配せをしてホグワーツを発った。
後に続くフレッドが「ハリーに何を言ったんだ?」と訊ねてきた。
「フレッドのことを頼んだだけさ」
冗談を言うときと同じ口調で言った。
フレッドは納得していないようだったが、それ以上は何も言わなかった。
これでいい。これでいいのだ。
承知して決めたはずなのに、胸にまとわりつく、粘ついたものはまだ消えない。時間が経てば全て消えるだろう。そう願いながら、夜空の中を飛び続けた。
第4話 了