グリンモールドプレイスでの掃除での一件から、ハリーの様子が気にかかるようになった。どうもハリーが、ジョージのことを頻繁に見ているように思えてならないのだ。常にハリーの視線を感じる――ような気がする。
ホグワーツへ戻ってからも、ハリーはジョージをよく目で追っているようだった。思い返せば、今までも同じような視線をハリーから受けていた。これまで意識せずにいたのが不思議なほどに、ハリーはジョージを熱心に見詰めている。
ジョージはフレッドと一緒にいることが多い。はじめは、ジョージではなくフレッドを見ているのかとも思ったが、フレッドと二人で並んでいると、ハリーがジョージの方を特に強く意識しているように思えてならなかった。
過剰に考え過ぎているだけなのかもしれない、とも思う。本当はどちらか一方を特に意識している、ということはないのかもしれない。
フレッドのことも、ジョージと同様によく見ているのかもしれない。ジョージにはそれを感知できないというだけで。
思い違いだ。
思い違いであれ。
何度もそう思おうとしているものの、はっきりとした自信を持って言うことはできなかった。
フレッドは以前と変わらず、ハリーを見つけては勢いよく絡みに行っている。いや、勢いは以前と変わらないが、ハリーを見る目は前よりも熱くなっていた。
ハリーへの愛おしさが、日に日に増しているようだった。
本人が気付いているかどうかは不明だが、ハリーに触れる頻度が増えてきている。
肩を組んだり頬をつねったりと、からかいの範囲内ではあるが少しずつ触れる回数が増えてきた。
ジョージもまた、フレッドがハリーのところへ飛んで行ったら同じようにくっついて飛んで行く。しかし、フレッドがハリーの肩を組んでもジョージはハリーに触れないし、フレッドがハリーの頬をつねってもまた、ハリーに触れようとはしなかった。
いつもと同じように笑って、フレッドの調子を支えるように冗談を言うだけだ。
前のように軽い気持ちでハリーに触れることができなくなってしまった。
フレッドがハリーのことを好きだと気づいたとき、考えたことがある。
ハリーもまた、フレッドのことを好きだったら、自分はどうするのだろう、と。
あのときは答えが出なかったが、今なら言える。
フレッドがハリーを好きで、ハリーをもまたフレッドのことが好きなのであれば、それが最も理想的だ。ジョージは二人のことを応援できる。
だがもしも違ったら――と、嫌な考えが浮かぶ。
もしもハリーの想う相手がフレッドはなくて、しかも全くの赤の他人ではない――まさか、ジョージであったら、と。
いや――とジョージは浮かんだ考えを否定した。
ジョージとフレッドは双子だ。
見かけのみならず、性格も似ている自覚はある。
たとえ、ハリーがいま、フレッドではなくジョージを好きだと思っていたとしても、ハリーが勘違いをしているだけである可能性もあった。
ジョージとフレッドの区別がいまいちついていないせいで誤解があるのかもしれない。
あまり嬉しいことではないが、ジョージとフレッドのことを「双子」というセットで好きなだけなのかもしれない。
ハリーがジョージとフレッドを「双子」という括りで呼んだことがなければ、ジョージとフレッドたちを呼び間違えたこともなかったが、そう思うしかなかった。
同室のみんなが寝静まった後もジョージは中々寝つけず、考えても詮のないことを思考してしまっていた。
フレッドは既に眠りに就いて久しい。
ベッドの天蓋のカーテンを閉めているので顔を見ることはできないが、寝息が聞こえてくるのでフレッドの様子はわかった。
このまま寝転がっていても寝つけそうにない。頭を冷やそう。
ジョージはカーテンを開け放ち、ベッドから起き上がった。
談話室で外でも眺めていたら少しは落ち着くだろう。
フレッドのベッドのカーテンが開く気配はない。同室の友人たちを起こさないよう、足音を忍ばせて階段を下りた。
あと数段降りたら談話室につく、というところでジョージは足を止めた。談話室から話し声が聞こえてくる。
囁くような声で、誰かが話し込んでいた。会話の合間に、暖炉の火が爆ぜる音がする。パチパチという音が自棄に大きく響いた。
耳に届く話し声に聞き覚えがあるように思えて、ジョージは身を隠しながら談話室の中を覗いた。
ハリーとハーマイオニーが、暖炉の前に座っている。他に人の気配はない。ロンはいないようだ。
ハリーがハーマイオニーと二人でいるのは珍しい光景だった。ロンがいないのは気になったが、それよりも二人の会話の内容の方が気になった。彼らはまた、何か大きな事件にかかわろうとしているのかもしれない。
面白そうなことなら一枚噛ませてもらおうか。
ジョージは二人の前に出ていくタイミングを測るため、耳をそばだてて二人の会話を聞いた。
「……ごめん、ハーマイオニー。ロンには言いにくくて」
「えぇ、そうよね。安心して、ロンには内緒にするから」
ありがとう、と小さく言うハリーの声が聞こえた。
ジョージの眉根がわずかに寄せられる。
何を話そうとしているのかはわからなかったが、繊細な内容であろうことはわかった。他人が盗み聞きをしていいような内容ではない。
二人に気付かれる前に、再び部屋へ戻るべく踵を返した。だが、聞こえてきたハーマイオニーの言葉がジョージの足を止めてしまった。
「ハリーが話したいことって、フレッドとジョージのことでしょう?」
ハリーが息を呑んだのがわかった。しばらく間を置いて、ハリーの「うん」と肯定する声が聞こえる。
他人どころではない。ジョージが特に聞いてはならない話だ。早くここから去らなければならない。
確信をもってそう言えるのに、足が動いてくれない。
動け、動け。
念じている間に、ハーマイオニーが核心に迫る質問をしてしまう。
「ハリー、あなた、もしかして、フレッドかジョージのどちらかのことを好きになってしまったんじゃない?」
ひやりと冷たいものが胸を走った。
鉛のように重く、鈍った足がやっとわずかに動き始める。だが遅かった。
「――ジョージのことが、好きなんだ」
ハリーの、掠れた声が聞こえた。
ジョージは咄嗟に、自分の口を手で覆う。喉から引きつった音が漏れてしまったが、ハリーたちには聞こえていなかったようだ。二人は会話を続けた。
「私が訊いたのに申し訳ないんだけど……フレッドじゃなくてジョージが好きなのには何か理由があるの? 二人が別の人間だっていうのはわかってるの。でも、ほら、二人ってとっても似ているでしょう?」
ハリーがくすりと笑う気配がする。
「二人はすごく似てると思う。二人とも明るいし、たくさん笑わせてくれる。二人のそういうところに助けられてきたこともいっぱいあるよ。二人の、そういうところが好きなんだ。それで、僕は、ジョージの――ジョージの、気遣ってくれるところが好きなんだ」
「気遣ってくれる?」
ハーマイオニーがオウム返しに訊ねた。
「フレッドは楽しいことに敏感なんだ。面白そうなことを見つけると引っ張っていってくれる。ジョージは、周りの人をよく見ているんだと思う。暗い気持ちになったときに声をかけてくれるんだ」
もっとも、ジョージが気遣って声をかけるのは自分に限ったことではないのだけど、とハリーは小さく言い足した。
「はじめは、二人のことが好きなんだと思った。フレッドとジョージの二人のことが。二人が一緒にいて、二人で何かをしているところを見るのが好きなんだと思ってた。でも、違ったみたい。
二人が一緒にいるときも、いないときも、僕は気づいたらジョージのことばかり見てしまってる。……きっと僕は、ジョージのことが好き、何だと思う」
こんな話を聞いてはならないとわかっているはずなのに、先程まで必死に動かそうとしていた足は再び沈黙してしまった。
ジョージは、自分の顔が熱くなっていくのを感じた。手で覆っている頬が熱を帯びている。同時に、胸も痛くなってきた。
自分の中で、何かの感情が沸き立っている。だが何の感情なのかがわからない。
悲しいのだろうか。それともまさか、喜んでいるのだろうか。いや、そんなはずはない。
「僕、変かな?」
「そんなことないわ!」
不安げに訊ねるハリーに、ハーマイオニーが強く否定した。
「人を好きになるって、自然なことだし、とっても素敵なことよ。二人とも――ああ、いえ、ジョージね。ジョージも素敵な人よ。彼らは……彼はちょっと不真面目で、良くないところもあるけど、うん、でも素晴らしい人だと思う」
ところどころで訂正を入れながらもハーマイオニーは言った。言い切ったあと、彼女は感慨深げに溜息を吐いた。
「本当にジョージのことが好きなのね」
顔が真っ赤よ、とハーマイオニーがくすくす笑った。
「それで、ジョージと何かあったの? 彼が好きだっていうことを打ち明けるためだけに私を呼び出したんじゃないんでしょう?」
「うん……」ハリーはもごもごと答えた。
「ジョージに避けられている気がするんだ」
ハリーの言葉にどきりとした。ハリーに気づかれているとは思っていなかった。
ハーマイオニーは「そうかしら?」と不思議そうな声を上げている。
「私にはいつもと変わらないように見えるけど。今日だってあの二人はハリーにすっごくたくさん話しかけてきたじゃない。ジョージたちがあんまりにも貴方にいっぱいスキンシップを図るものだから、また校則が増えてしまったわ」
呆れとも憤慨ともつかない調子でハーマイオニーは言った。ハリーはそんな彼女の主張に、違うんだ、と静かに否定した。
「フレッドは僕によく触れてくるんだけど、ジョージは触れてこないんだ――絶対に」ハリーは続けた。
「フレッドは僕と肩を組むけど、ジョージは組まない。フレッドは僕の頭を撫でまわしてくるけど、ジョージは撫でてこない。……僕はそれが、少し寂しい」
小さく、零すように言った。
もう――そうか。
もう、認めるしかない。
ハリーは、ジョージを好いている。フレッドではなく、ジョージのことを。
ジョージは、口を覆っていた手を動かし、今度は両手で顔を覆った。
自分の顔がいま、どんな色をしているのかもわからない。ただ、顔に触れているジョージの手のひらは恐ろしく冷え切っていた。
ジョージは力なく、身体を壁にもたれさせた。膝からずるずると崩れ落ちていく。立てた膝に顔を埋めてしまった。
ハリーたちはまだ何かを話し合っている。声音から、ハーマイオニーがハリーを慰めるようなことを言っているようだった。何を言っているのかは聞き取れない。頭が理解を拒否している。
早くここから立ち去らねば。
二人がジョージの存在に気づく前に部屋に戻ろう。そして、何事もなかったような顔をして、「おはよう」と彼らに言うのだ。
役に立たなくなっている膝を叱咤し、何とか直立する。
静かに上に戻ろうと階段に足を向けた。だが、ジョージが上るより前に、誰かが螺旋階段を下りてきてしまった。まだ目が半分閉じているロンだ。重たそうな瞼を擦りながらも、ロンがジョージの姿を見つけてしまう。
「あれ? そこにいるのってフレッド? ジョージ? ねぇ、ハリーを見なかった?」
背後からがたがたと大きな音が響く。鷹揚に後ろの談話室を覗き込んだ。
カウチから立ち上がったハリーとハーマイオニーが見えた。
血の気が失せたハリーの顔が、真っ直ぐにこちらに向けられている。震えるように開かれた口が「ジョージ」と発する形を作った。
ハーマイオニーが恐る恐る、といった様子で訊ねてくる。
「ねぇいま、何か聞いた……?」
静かなこの場所で、いつからいたのかもわからない人間が、こんなところに隠れて何も聞かなかったはずがないと、賢い彼女はわかっているだろう。それでも訊ねてきたのは、彼女の願望が混ざっているからだと痛いほど理解できた。
理解できたからこそ、ジョージは口元に笑みの形を作り、
「何も」
とだけ答えた。
目は細め、いつもの軽い調子を意識して声を作った。ハリーの緑の目を真っ直ぐに見詰める。
ハリーの眉根がじわじわと寄せられていった。
泣きそうな、それでいて縋るような目で、ハリーはジョージを見つめ返してくる。
ジョージの心も次第に落ち着いてきた。
ジョージが聞いてしまったことをハリーが知ったのだとしても、ジョージのやることは変わらないのだ。
何事もなかったような顔で部屋に戻って眠り、起きたら何事もなかったような顔でハリーたちにおはようと言う。それだけだ。
第3話 了